クラウンボランティア・ティアドロップとは

小児科病棟へのクラウン慰問派遣は、ヨーロッパ、オランダに始まり、日本では2005年に日本クリニクラウン協会が最初に活動をはじめました。さらに名古屋を起点とする日本ホスピタル・クラウン協会も活動を開始、九州大学病院小児科病棟にも活動を広げています。

ここ大分ではクラウンボランティア・ティアドロップが2008年より活動を開始、大分県立病院小児病棟に毎月1回訪問しています。地道な活動が評価されまして、2015年にNPO法人化することが出来ました。来年、10周年を迎えます。

クラウン(道化師)に扮して、小児科病棟に定期的に訪問することにより、入院している子供たちに喜びと笑いを届け、病気の回復に対する意欲と希望を奮い立たせ、活力を取り戻す手助けをしたいと思っています。また、医師や看護師、看病する家族に癒しを届けることで、長く退屈な病室の空間を和ませ、精神的苦痛とストレスの解消を図り、良好な人間関係、医療環境を形成したいという目的で活動しています。

クリニクラウンとの出会い

由布市庄内町に内科医院を開業して10年目を迎えた頃でした。
小児病棟に長期入院している病児とその家族のテレビニュースで、ピエロの格好をした人たちが病棟にやってきて、子供たちを大いに笑わせて、楽しそうに触れ合っているシーンを見ました。病棟に慰問活動をしているピエロたちは「クリニクラウン」という聞きなれない名で呼ばれていま した。

「クリニクラウン」とはなんだ?と不思議に思って調べてみましたら、クリニックとクラウン(ピエロのこと)をくっつけた造語のようです。日本語に訳せば「臨床道化師」 でしょうか。僕が初めて臨床道化師なるものに魅かれたのは画面に広がる子供たちの屈託のない楽しそうな笑顔でした。
さほど子供好きでもない僕が、今後想像もできないほど進化したきっかけでありました。
「クリニクラウン」が世に生まれる以前、心の慰問活動を繰り広げる「クラウンドクター(Clown Doctor)」と呼ばれる医師たちが現れます。
その始まりはアメリカ人のパッチアダムス(本名ハンターキャンベルアダムス)という破天荒な医師の行動です。タイムリーに名前と同名の映画が放映されている頃でしたので、早速ビデオを買って見てみました。 彼は若いころからクラウンの格好をしながら人々を楽しませていましたが、心の病気で入退院を繰り返していました。ところが当時のアメリカ医療の退廃さに失望して自ら医師になることを決意、無料で医療が受けられる病院「ゲズントハイト・インスティテュート」 を設立します。
多くの共感する友人たちを集め、ロシアなどへの病院慰問旅行を開始し、 最初の「クラウンドクター」と言われています。
1980年代には、ニューヨーク「ビッグア ップルサーカス」のマイケル・クリステンセンによる「クラウンドクター」養成が始まり ます。
やがて、その活動はヨーロッパやオーストラリアへと拡大。医師だけでなく多くのプロの道化師たちの賛同を集め、オランダでは小児を対象とした「クリニクラウン」へと発展し、1992年には国民の寄付によりクリニクラウン財団が設立されます。
いかにも欧米らしい、コミュニケーションを生かしたボランティア活動だと感心しました。

国内での活動

この活動が日本に伝わったきっかけというのは、日本に在住のオランダ人夫妻のお嬢さんが事故で入院した折に「なぜ日本の小児病院にはクリニクラウンがいないの?」という一言が契機になったそうです。
現在オランダの85%の小児病棟にクリニクラウンが定期訪問(毎週) しています。
欧米においては病院にクリニクラウンがいることは極当たり前なことなので しょう。
この質問を受けたオランダ総領事館が自国のクリニクラウン財団にオランダ人クラウンの派遣を要請したのがきっかけとなり、日本にも2004年にオランダのクリニクラウン協会の活動が紹介され、少しずつ日本の医療の場に浸透してきました、そして2005年日本クリニクラウン協会が大阪に設立されることとなりました。
また、名古屋にも2006年、大道芸人のクラウンKこと大軒耕介氏が中心となってホスピタルクラウン協会という団体が設立されました。
大軒氏は実際にパッチアダムス氏とロシアに同行し、クラウン慰問事業に賛同して、日本での事業を展開しています。
現在では全国の小児病棟を目指して各地にメンバー養成の研修会も企画しています。

設立の契機

僕にも何か出来る事はないか、少しでもこの活動に役に立てばと、当初は賛助会員として日本クリニクラウン協会に寄附をすることにしました。しかし、その後2年経過しても、 ここ大分にまでクリニクラウンの活動が広がる様子はなく、遠い存在に感じることは否めません。お金を出すだけでは僕の心は満たされません。
子供たちを笑わせる自信など皆目なかったのですが、見えない何かに背中を押されて、 自分たちでクラウン慰問をやってみようと思い立ちました。
一人ではとても実行できる自信がなかったので、一緒になって活動できる人はいないかと、飲み会の折に酔っぱらった勢いで誘いをかけ、応じてくれた数人の友人(看護師や介護士)とボランティアチーム「テ ィアドロップ」を立ち上げました。

大分県立病院の協力

2008年の3月に県立病院のボランティア受付に向かいました。
このころテレビでクリニクラウンの紹介があったようで、こころよく訪問を受け入れてくれました。
県立病院の小児病棟には、病棟保育士が常勤されていて、彼女が我々のバックアップを全面的に支援してくれました。
プレイルームでまず比較的元気な子供たちを相手に、集団でのゲームやアクティビティを企画しました。
そのあとに病室から出ていけない重度の子供たちを 個別に訪問することにしました。
さあ、クラウンのコスチュームもそろえて顔にペインテ ィング。子供たちと何して遊ぼうか。毎月第2金曜日午後に訪問すると決めて、飽きられないように毎回違った催し物を考えて、マジックやジャグリング、バルーンアートなど日頃から練習をするまでになりました。
気が付けば駆け出しの道化師に進化?していました。 病棟訪問の3目前から「今月は何をやろうか?」とみんなで相談して準備を進めます。
狭いプレイルームでもやろうと思えばいろんなことが出来ます。本物の金魚すくいやカブトムシ遊び、キャンプや魚釣りに海水浴?運動会。
それから10年間、一回も休むことなく 訪問は続いています。僕は、幸い風邪等で休むこともなく、今のところ皆勤賞です。
ある日突然、我が子が難病やガンになってしまったらなんて、恐ろしくて想像もしたくないこと。
数か月もの間、自由に外で遊ぶことが許されず、花も音楽もない無機質な空間に閉ざされた生活を察します。カーテンー枚で隔てられた隣のベッドで鳴く子の声を聞きながら眠る夜のこと。早く良くなってほしいと願う親の期待に応えたくて、痛い点滴や検査にも必死に耐えて病気を治そうと気丈に頑張っている病児たち。
インターネットで小児 病棟と検索すると、数多くのあふれる叫び声に気付くことでしょう。病児にとって小児病棟は「病と闘うための戦場なのでしょうか?」と考えてしまう。「身近に、大変な苦難と闘っている子供たちがいることに気付いていましたか。
長期入院が必要な病児や狭いベッドサイドに泊まり込みで付き添う家族のために、小児病棟の環境を少しでも当たり前の生活の場に近づけてあげることの必要性を感じています。
病児が「遊び」から得る効果は、「病院生活から離れて日常性(子供らしさ)を取り戻すことで、心安らかにして生きていることの実感を得る」ということ。子供たちが退院するときに辛い入院生活のことよりも一緒に遊んでくれて楽しかった思い出を一つでも持ち帰ってくれたら喜ばしいことです。
先日、小児病棟保育士さんからメールをいただきました。
「いつもお世話になっております。今週も、退院する子どもたちが、ティアドロップさ んにいただいた風船を大事そうに握りしめ、満面の笑顔で帰っていっています。きっとその子たちには、入院経験が、楽しい思い出として残っているにちがいありません。毎月1 回のおたのしみかい。ともすれば、私たちが見落としがちな、子どもたちにとって本当に大事なことを、ティアドロップのみなさんに、いつも気づかせてもらっている日でもあります。ありがとうティアドロップさん!」
こちらこそありがとう。たくさんの子供たちの笑顔を頂いて、僕たちの心も満たされていることを実感しています。

NPO法人設立へ

昨年、クラウンボランティア・ティアドロップはNPO法人化することが出来ました。
社会的にも認知されたことを思うと身の引き締まる思いです。
さらに活動の場を広げて、長期入院の子供たちがいる他の病院の小児病棟にも足を運びたいと考えています。そして、課題であるボランティアメンバーの育成、 活動資金の確保などを解決し、安定した活動が持続できることを次の目標に掲げます。
今年、資金協力を頂きました日本財団、豊和銀行、個人会員の皆様、大変ありがとうございました。おかげで10年使って着崩れた衣装も新調できそうですし、子供たちの風船やプレゼントを豊富にそろえることが出来ました。
日本クリニクラウン協会やホスピタルクラウン協会のように日本中を飛び回って事業を展開することはとても真似できませんが、大分の地域に密着した活動をこれからも続けてゆきます。応援よろしくお願いします。